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ときどき反省~HYPER~

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才能という幻想

妹参加のコンサートから帰ってきましたぁ。
その後、母と韓国人留学生と食事で、こんな時間に。

最近、母と話すと気持ちがささくれてしまうことがある。
母としては、あと十年というカウントダウンを切ってしまった定年退職前で、老後の心配があるのだろう。
特に独身なわけだし。
子どもは二人とも独身な上に、将来が安定しているとも言いがたい状態だし。
そんなことで嫌味の二つ三つ四つくらいは、言いたくなるのもよくわかる。

「定年迎えたら、私を頼れないわよ」
というような言い方をするのだけど、今までも頼りにしたこともなきゃ、これからもそんなつもりはない。
経済的にも精神的にも、自力で頑張るというのが、好きなことをやる上での作法だと私は考えている。
それができないようなら、好きなことの範囲を狭めるか、やめるという覚悟。
で、それを止めたくないし、範囲も狭めたくないから、経済的にも困らないように必死に足搔くことになる。

妹には、私も母も甘いので、褒め言葉もあるのだけど、私自身は母から褒められた記憶はない。
特に、文章は、書いていること自体が褒められたことじゃないので、「才能ないんだから、やめれば」なのである。
父母健在のときは、結構、しつけというのが厳しかったせい。
父親不在となってからは、父親が「小説家になりたい」とドリーミーなことを言っていたせいか、文章=夢想家という偏見。かなりの時間が経過したあとに、この話を聞いたときは、心の中で盛大な舌打ちをしてしまった。

父親よぉ、一文も書かない奴が軽く小説家なんていうなよ。
母親よぉ、文章=父親のイメージはやめてくれよ。
そんなこんなで、ずっと文章を書き続けていたのは、高校の授業が終わったあたりから内緒の事実にしていた。
が、去年、渋々、口を割ることになった。
それから、マジで風当たりが厳しい。
突風である。

一人暮らしを続けるのも、適宜、仕事に集中するのも、事業起こしたいというのも、死ぬまで書く環境を持ち続けたい(できれば、その割合を次第に増やして)からで、そんなことを画策したのも、もう15年近く前の話。
これ奪われるなら、死ぬのも同じなわけですよ。
そんな目標もなけりゃあ、仕事上のスキルを身につけようって気持ちにだってなってなかったかもしれない。
黙々、着々と暮らしていた中で、いきなり、退職不安のあおりを受けているわけなのだ。

その不安は大いにわかるし、不安も支えられたらと思う。
けれど、じゃあ、私がどこかで雇用されていれば安定なのかといえば、その答えは私にとってはNOなのだ。
リストラ、倒産なんて、身近だ。
どこかの時点で、一つの会社に所属していたら、安定があるかといえば、それは願望でしかない。
願望がパワーとなって新たな仕事を生み出すのだとしたら、それは会社がうまく機能している証明になるが、願望が単なる幻想でしかなく、現実を見ないまま日々を過ごしていく会社も当然ある。

じゃあ、もう一つの乙女な幻想、死語とも言える永久就職はどうだ?
結局、雇用や事業のリスクが分散するか、直接的なリスクが他人に移るだけで変わらない。
運よく、危機を回避したとしても、一生添い遂げるという自信はない。
自信が今の時点でないと断言できる状態は、少なくとも安定にはなりえないだろう。
この部分は母のほうが、より達観しているはずである。

安定はどこにあるのか、私としては、その答えを導き出しかねている。
母にしても、おそらく、安定が幻想でしかないことを知っていると私は感じている。
それでも、娘に言ってしまうくらい不安なのだと思う。
その不安を払拭するような言葉も吐けなきゃ、安定を錯覚する幻想を見せられないことが、私には残念だし、悔しいし、苦しい。
適当に言っても、口先だけの言葉はばれるし、適当なことを言わざるを得ない自分に自己嫌悪を感じそう。


根底は同じだと思うものが、もう一つある。
それが、才能。

妹の歌い方が、妹のよさを殺すものに変わってしまっているのだけど、その理由が今日のステージでわかってしまった。
先生の歌い方と同じなのだ。
妹は先生を尊敬していて、そうなりたいと言っていた。
それがいつの間にか、妹の歌い方に影響を与えていたのだと思う。
私にしてみれば、その先生よりもスゴイと唸ってしまう人はたくさん存在する。
けれど、妹にしてみれば、才能溢れる人なのだ。

その「才能」が厄介なのだ。
誰もが認める天才って、本当に存在するのだろうか?
誰かがフューチャーしたから、天才だと判断したということはないだろうか?

純粋に、人と出会い、出会った人が「この人は天才」と感じる人は、私はいないと思う。
文豪にしても、偉大な作曲家にしても、画家にしても、賛否両論なのである。
賛同する、感動する人と、そうでもない人が存在するのだ。
発明家も同じ。バカにする人と崇拝する人。

でも、スゴイと感じる人は、いる。
どうして「スゴイ」と感じてしまうのかといえば、それは、自分の中に見出せなかった、あるいは、感じながらも形にできなかったものを見せ付けられたからではないだろうか。
それは、個性の延長じゃないかと思うのだ。

例えば、私のこのつたない文章を面白いと思ってくれる人がいるとする。
それは、私が才能に満ち溢れているからでも、ましてや、天才だからということではない。
ただ、今まで経験したこと、経験によって感じたことを自分の言葉で表現したに過ぎない。
その経験や感じ方、思考のクセ、文章自体が個性なのである。
今日まで至る中で、私がどこかで文章を書くことを止めてしまったり(スミマセン!私には無理です)、別の経験で別の感じ方をしていたら、出会えなかった文章なのである。
人の真似じゃ、まず自分の心が動かない。
自分自身が手招きする方向というのがあって、その方向に向かったときに、面白さが生まれる。
もちろん、その一方で、普遍性や一般性に欠け、既存の何かの安心感は失われる。
正しさの証明などもなく、ましてや、才能なんて幻想すら見つけられない。

これって、ほかの芸事でも同じじゃないだろうか?
既述の歌でいえば、その人自身の声があって、その人に合った声の出し方があるのだと感じている。
その個性とも特性ともいえるものを真っ直ぐに伸ばしていった人に、スゴイと圧倒されてしまうのだと思う。

「スゴイ!」と思ってしまう人に、「天才ですね!」とか、「才能に溢れてますね!」なんて言ったとして、一体どれほどの人が「はい、生まれつきの才能で」と心の底から答えるだろうか?
おそらく、そのスゴイ人たちは、「まだまだ」「勉強不足」なんて答えるんじゃないだろうか。
その人たちにとってみれば正直な感想だろうけれど、一方で、天才と思った人の気持ちも正直な感想なのである。
才能なんてものは、絶対評価ではなく、あくまで主観的に存在していて、ずば抜けた個性に出会ったときに、その潔さにひれ伏してしまうのかもしれない。

「才能」という言葉を使うときは、大きく分けて二つだと思う。
その個性にものすごく惹かれ、心酔したとき。
そして、もう一つは、自分で自分を諦めさせるとき。

似ていないかな? 安定。
幻想ということに気づかないようにしながら、すがりたくなる幸せ。
諦めるときに使う言葉。

もしも、才能というものがあるとすれば、個性を磨き続けることを止めないことなのかな。
個性を磨き続けるって大変なことで、たとえ途中まで同じ方向の人がいたとしても、どこかの時点で一人で開拓し続けなければいけなくなる。それは、とても一般的ではない。
諦めたら、無難な人生が待っていてくれるだろう。
そんな誘惑の中で、ひたすらに進む覚悟と思い込み(笑)、それが才能の正体なのかもしれない。
自分に合わないものを取り入れようとする努力は、そんな覚悟と思い込みの中で突き進むと、いつの間にか軌道修正されて、気がつけば、全てが肥やしとなって、個性が形成されて、才能と呼んでもらえる日がくるだろう。

当然、圧倒的な個性を見せられたときに羨望も嫉妬の気持ちも、自己嫌悪の気持ちも存在する。
けれど、それは決して、プロ・アマの区分もなきゃ、そういう面での焦りもない。時間の焦りもない。
そういう焦りは、他者との比較やそのもの自体ではないものから生じているのだと思う。
賞賛されたい願望とか、稼ぎたいとか。
純粋に何を欲しているかと考えると、そこにあるのは、ただ、自分の中にある何かを表現する術なんだろう。

そんな気持ちなので、妹の今の歌い方が合わないなぁと思っていても、別にいい。
いろいろ試して、最後に残すものを決めればいい。
私は文章。
ほかは文章の肥やしにするために存在する好奇心の素。
でも、傍から見たら、ただの移り気な人にしか見えないんだろうなぁ。

絵もないのに、長くなっちゃった・・・。
明日は、お勤めの初出勤日なので、そろそろ寝なきゃ。
午前中もHP(グータラのほう)を更新したり、拍手つけてみたりしてたら終わっちゃったしなぁ。
拍手のお礼も作り始めて、完成、まだ。
ああ、もう、本当にグータラすぎ。



排水ホースとの格闘記事やブログの分岐など、拍手を下さった方々、
本当にありがとうございます。
最近、私にしては、とても拍手が多いので、とってもうれしいです。
ちなみに、排水ホースをきれいにしたことで減少してほしかった小バエは、昨日は少なく、今日はベラボウに多かったです。
排水溝から来るのか、浴槽の下に卵ビッチリなのか・・・どちらにしても困りもんです。
そして、なぜか、時期を同じくして、排水ホース洗浄に母もはまっていたらしいですが、その母もホースに漂白剤を入れて振ったそうです。
やはり、最善の方法は、レッツシェイキング!でした。
  1. 2010/06/21(月) 01:35:34|
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